これまでの自分の歩みと、自己反省。

 

新卒のとき、田舎の方でIT関係の仕事をしていた。給料も良かったし人間関係も悪くはなかったけどしんどかった。

仕事を辞めたのは職種が合わなかった以上に、自分が思うよりも「人との関わりを大切にしていた」からだと思う。

 

話せる友人がいないということは私にとって相当の負担だった。

ずっと1人が好きで、誰にも縛られない独立心あふれる人間だとおもってたけど、、本当は寂しがり屋でいつも誰かに認めて欲しかったのかもしれない。

孤独なんて大嫌いな、その辺にいるただの普通の女だと気がついた。

 

 

現在は仕事を辞めて、実家に戻っている。

就職活動は最近始めたけどちょっと遠慮しとくかな…という会社が多い。

やはり転職は来年からの方がいいのかな。。

四柱推命(生年月日から運勢を見る)によると来年から新しいことを始めるにとても良い年になるとある。仕事でも恋愛でも、今までにないくらいに良くなるとべた褒めされている。

 

占いを信用するのかと突っ込まれそうだけど、占いとか関係なしに大殺界の去年と今年は本当にあり得ないほど酷い年だった。

長年友人だった人に裏切られたり

ずっと好きだった人に手酷く拒否されたり

職場で変な男に付きまとわれたり

 

こんな酷いことが立て続けに起こるなんて今までなかった。

 

何度も死のうと思ったし自分を責めた。

きっと今までの自分の怠惰な人生が招いた当然の結果なのかもしれない。私はそれほど友人のことを大切にしなかったし選ぶ選択といえば、自慢できるかどうかで決めてたように思う。

本当に懲り懲りなんで、新しい就職先が決まり次第、心を入れ替えて人生を送りたい。

 

 

次の就職先は……

もう給料とか出世とか社会的地位とかどうでも良いから、平和に暮らしたいと思う。

お金はそこそこ生活できるレベルで十分。

これまでは見栄とか人からどう思われるかとか、すごく考えてたけどどうでもいい。

 

それなりに遊べて、それなりに幸せなら…あとはもう何でもいい。

誰かに立派だなんて、思われなくていい。

思われる必要なんか全くない。

 

 

普通に友達と話したり勉強したり仕事して暮らしていくこと。当たり前だと思っていたことがこんなに幸せなことだと思いもしなかった。

私にとって、自慢できる人生を送るよりも幸せに生きることの方がずっと大切だと気がついたから。

 

2019年、自分の分を弁えて、新たに人生を切り開くために頑張って行きたいと思う。

 

 

 

 

上手くいかないのは「やめとけ」のサインだと思う

人生経験上、『頑張っても上手くいかない。それどころか様々な妨害がかかる』って状態はそれは君の行くべき道じゃないからやめておきなさいというメッセージだ。

 

 

 

例えば私は昔すごく好きな人がいて絶対に成就させたいと意気込んてたけど

何かに邪魔されるように上手くいかなくて

その後、立ち直れないくらいに酷くトラウマになった。

 

でもそのときは受け入れられなかったけど自分に合ってなかったんだよね。

それを「自分の魅力がないから」「消えてしまいたい」と、

とても自分のことを責めてたんだけど。

相手が自分のことをどう思ってるかということに重点を置きすぎてそんな風に痛めつけられるような「自分」のことを置き去りにしてた。

「側にいるだけで自分の存在が否定されるような気持ちになる」そんなのは相応しい相手なんかじゃない。

 

 

この人とは合ってないよ』という心の声を無視してわざわざ傷付けられるような相手を選んでいた。この人こそが運命の相手だと思い込んで。

あとから思い返せば、相手は非常に頭の良い人だったけど神経質でめちゃくちゃモラハラ気質の人だった。そんな人と一緒になったら不幸になるに決まってるのに「最初に好きだと思ったんだからそうなるべきだ」という思い込みによって随分と貴重な青春時代を無駄にしたのだ。

 

 

 

何やってもどうしても上手くいかないときは残念ながら「やめとけ」ってことだ。

 

 

 

『諦めないで続けろ!』『三日坊主は悪』と世間一般では言うけどさ。人生短いんだし好きなこと・本当にやるべきことを見つけるためには「新しいことを始めては向いてないと思ったらすぐにやめる勇気」ってのが非常に大事だと思うんだな。

 

私は勉強でも仕事でも「なんか向いてないな、苦痛だな」「でもここでやめたら親や友達からまた飽き性だと思われてしまう」

と、恋愛の時と全く同じパターンで自分がどう思うかよりみんなにどう思われるかばかり考えていた。

 

そんなもん「向いてない・苦痛」と思った時点で続ける価値なんてないのである。そこの所がわかってなかった私は随分と人生を浪費してしまった。

 

私は勉強でも仕事でも恋愛でも「辛い。苦しい。消えてしまいたい。」と思っても続けてしまう癖があった。それは自分の感覚に自信が無かったから。

 

 

一方で「向いてること・居るべき場所」を見つけることができれば努力だって自然と出来るし周りの人に好かれやすくなる。

何もしてないのに面白いくらいに上手く行く。まるで運が味方するかのように。

 

 

結局、『本当の自分を受け入れてくれる場所が絶対にみつかる』と信じられるかどうかなんだよね。

 

恋愛でも「自分なんかでも付きあってくれる人」じゃなく「本当に一緒にいたい人」を選ぶべきだし

仕事・勉強でも「なんとなく受けて受かったところ」じゃなく「やりたいと思える・少なくとも(そのスキルを得て自分が具体的にどうしたいか)展望のあること」をすべきだと強く思う。

 

 

「上手くいかない・向いてない」と明確になってるのに続けてしまうのは「自分なんかなんの才能もないのにここでやめてしまったらまた中途半端に終わってしまう」という恐れがあるから。

『中途半端に終わる』って普通のことなんだよ。最初は興味があると思ってもやってみたら向いてなかった・楽しく無かったと辞める。

人生はそれの繰り返し。やったことは無駄にはならないし生涯を通じて「これ!!」と思えるものが出来たら儲けもんだ。それくらい自分にピッタリ当てはまることを見つけるのは難しいし首尾貫徹することが大事なのではない。

 

 

まぁ実際、「やめる」って人によっては滅茶滅茶難しい、勇気のいることなんだよね…。

「三日坊主は悪」「苦労の美徳」と言われる日本では…

 

 

自分に優しく寄り添うこと

「精神を病み自ら死を選ぶ」シチュエーションってのは色々あるけど共通して言えるのは「心の声を無視し過ぎたこと」である。

 

 

ただ真面目にちゃんとやろうと、その場を波風立たないようと上手く切り抜けることに尽力しすぎて自身の心の悲鳴に気づかない。

自分にウソをつき過ぎて、自分の本当に好きなことややりたいことがわからなくなってしまったんだな。

人間は「したくないのにしなければならない」という事態に直面した時、ものすごく心に負荷がかかる。

だから心の病気になる。

 

 

競争社会に生きていると、どうしても「◯◯より△△の方が優れている」とか「◯◯は勝ち組で△△は負け組」とか

いちいち順位分けして人の価値を値踏みされることがある。ネットやSNSを見てもそれは顕著だね。何かに特化しててちょっと失敗すれば激しい非難に遭う。まるで聖人君子のように振る舞わねば、人間じゃないという風に言及される。

 

でも、そんな価値基準は時と場合によるし分野にもよる。実は、親であろうと上司であろうと(人生経験が豊富と自称する(笑))年上であろうと社会的地位のある者であろうと誰も誰かを評価する資格なんてない。

 

ある会社では無能だったけど別の会社では有能だったなんて話はよく聞く話だし

文明社会では「頭脳派」だが、

明日隕石が落ちてサバイバル生活を余儀なくされた時、最も重視されるのは「肉体派」だ。

 

 

精神を病んでいる人間は努力が足りない、

頑張れば、前向きになれば全て解決するんだという思想はお花畑だし、そういう考えがより一層病気の人を苦しめる。その人に寄り添っていない、他人と比較した価値基準で物事を見ているからだ。

 

 

比較対象は常に昨日の自分だ。人生の目的は出来るだけ他人をマウントして蹴落としてのし上がることじゃない。どれだけ周りに惑わされず自分の心に付き従えるか試すゲームだ

 

別にムリして頑張る必要はないし、本当は後ろ向きになりたいのに前向きになることもない。

少しずつ少しずつマイペースに、前へ進んで行けばいいんだ。